がまんをへらしてたのしくいきる

わたしのフェミニズム わたしに生まれたことをたのしむ

■孤独が怖い、の本当の理由

年末年始、夢中でやり尽くしたことが身体に響いて、昨日から熱を出して寝込んでいます。キリのいいところで休めばいいのに、できないんだよね。

 

思いきって話してみたけどわかってもらえなかったうえに傷つくことを言われた。

もう2度と話さないって拗ねて心を閉じた。

自分のまわりが敵だらけにみえた。

 

でも本当は

 

わかってほしかった。

助けてほしかった。

やさしい言葉をかけてほしかった。

一緒に考えてほしかった。

味方になってほしかった。

 

それで

 

この人ならわかってくれるかなー?

この人はわかってくれそうにないなー。

この人ならどうかなー?

 

と、わかってくれる人探しをしながら

生き続ける。

 

それで、たどり着く。

同じような苦しみを知っている人に。

苦しいのは自分ひとりではなかったんだ、とひとまず孤独から解放されてホッとする。

 

ここからが別れ道。

 

①傷ついた自分をやめられなくて、傷を舐めあいながら世の中を恨んで生きる。

 

②傷ついた自分を卒業して、自分の喜びや楽しみをみつけて自分の人生に集中していく。

 

①のスタンスでいる人達と一緒にいると、傷ついていないと仲間と認めないので、自分が幸せに生きようとしたときに足を引っ張られる。せっかくみつけた同じ苦しみを知る貴重な仲間を失う孤独を感じる。

 

②のスタンスでいる人達と一緒にいると、皆、自分のことで必死で他人にかまっていられないので、自分が置いてけぼりにされたような気がして孤独を感じる。

 

そもそも、わかってもらえない孤独からはじまった旅は、一旦、孤独から解放されたように思えたその後、①と②のどちらの道を選んでも孤独がついてくるんだなぁというのが、わたしの体感です。

 

そして、孤独を感じられるときっていうのは、かけがえのない自分の命を生きている時間。

 

自分の好きに生きていいんだよって許されている時間。

 

だけど慣れてないから、どうしたらいいのかわからなくて怖いんだよね。

 

孤独を感じるときにくっついてきた怖さは、自分の好きに生きていいんだって知って、どうしたらいいのかわからない怖さ。

 

わからないことが怖い。

 

怖いから、とりあえず既存のなにかにしがみつきたくもなるよね。

 

だけど、本当の本当の本当はどうしたいんだろうね?

 

楽しい人生のはじまり、はじまり♥