がまんをへらしてたのしくいきる

わたしのフェミニズム わたしに生まれたことをたのしむ

■そんなんじゃみっともないよ

恥ずかし~無理無理無理~‼

 

と自分の成長の足を引っ張る恥ずかしいという気持ち。

 

その根っこは、子どもの頃に繰り返し親に言われた言葉が影響していました。

 

そんなことじゃみっともない笑われるよ

そんなことじゃお母さん恥ずかしいわ

 

ことあるごとに、こんなふうに言われていた記憶があります。

 

そのうち「自分はみっともなくてみんなに笑われるような恥ずかしい子なんだ」と思うようになって、親に恥をかかせないように、失敗しないように、縮こまるようになったなぁ。あーこれだ。

 

この恥ずかし~は、わたしの恥ずかし~じゃなくて、親の恥ずかし~じゃんね。

わたしの気持ちじゃないじゃんね~。

勘違いじゃんね~。

 

もし自分以外の誰かが「わたしはみっともなくてみんなに笑われるような恥ずかしい人間なんです」と縮こまっていたら「そんなわけないじゃーんっ‼」って絶対言うのに。

 

わたしは、誰かに、笑われても、みっともないと言われても、恥ずかしいと言われても、わたしの存在とは関係ない。

それでも刷り込まれた恥ずかし~は、しばらく誤作動してわたしを赤面させるだろうけど、どんどん進もう‼