がまんをへらしてたのしくいきる

わたしのフェミニズム わたしに生まれたことをたのしむ

■泣きたいんだから泣かせてあげる

今日は蟹座の満月。

今朝のわたしが主催しているネット瞑想会で、湧いてきたイメージが「冤罪」。

 

身に覚えのないことでまわりの人達に誤解されて吊し上げられて罪をきせられて、本当のことを話しても誰にも信じてもらえなくて潔白を証明できずに、罪人じゃないのに罪を償い続けてきたのかもしれません。

 

あー、わたしって、そーゆー悪いことするような人間にみんなから思われているんだ、ガーン( ̄▽ ̄;)

 

あー、誰もあの人は、そーゆー悪いことするような人間じゃないです‼誤解です‼絶対そんなわけない‼ってかばってくれないんだ、ガーン( ̄▽ ̄;)

 

もうおとなしくしていよう。(自分を殺して生きる=償いの人生)

これ、やめるやつ。

 

 

 

そしたら、今日、子どもを寝かしつけているとき、4歳の娘が急にうわーんと大泣き。

 

「おじいちゃんもおばあちゃんもパパもみんなに怒られるー、怖かったー、うわーん、怒られるー、怖かったー、うわーん、歯医者のおじさんもここつかんだから痛かった、うわーん、、、」

 

めちゃめちゃ泣きまくり。

これまで怖かったこと、嫌だったことを吐き出しながら長いことぎゃん泣き

 

ひざに乗せて抱っこして背中をさすりながら

 

「こわかったねー、こわかったねー」

「いやだったねー、いやだったねー」

「よくがまんしたねー」

「涙終わるまで泣いていいよー」

 

と声をかけながら、感情を感じきって浄化させて、全部抜けたところで、本当はどうしてほしくなくて、どうしてほしかったのか、本音のところを確認する。

 

「○○ちゃんはわるくないよ」

「○○ちゃんはいいこだよ」

「みんなにやさしくしてほしかったね」

 

「うん」(また泣く)→感じきる

 

娘に伝えた言葉は、子どもの頃の自分に伝えたい言葉と同じ。

現象は違うけど目の前にいる人と自分が持つ同じものが同時に癒されて浄化されていく。

 

感情が湧いてきたら、感じきって終わらせたあとに、本当はどうしてほしくなくて、本当はどうしてほしかったか、なんて言いたかったか、なんて言ってほしかったか、の本音を確認するところまでいくと、心が楽になる。

 

感情をなかったことにしたり、感情を刺激(食べ物、酒、恋愛、セックス、買い物、多忙など)でごまかしたり、感情を人のせいにしてぶつけたりするのは不適切で、自分の本音に気づけずに、どんどん自分らしさから遠ざかり苦しくなる。

 

じーっと感じきって、本音の確認までいけると、自分にとって適切な判断が下せて、自分を大切にして生きられるようになる。

 

あー、あと。

 

怒る人は怒る人の都合で怒ってる。あなたが悪いから怒ってるんじゃなくて、怒る人の都合で怒ってる。あなたは悪くない。