がまんをへらしてたのしくいきる

わたしのフェミニズム わたしに生まれたことをたのしむ

■がまんすることで食べてきた母のおかげ

自分の母親はどんな人かと聞かれたら「がまんすることで食べている人」だと思います。

わたしはどんな人かと聞かれたら「がまんをやめることで食べていくことにした人」です。

わたしは長女なので
「お姉ちゃんなんだからがまんしなさい」
は呼吸レベルのあたりまえさで言われてきたし
「みんながまんしてるんだからがまんしなさい」
「もっとつらい人もいるんだからがまんしなさい」
となにかにつけてがまんに持っていかれたし、がまんできればご褒美があり、がまんできなければ罰があり、さらに「人に迷惑をかけてはいけない」という教えも加わって
「何があってもがまんして自分ひとりで抱え込む、助けを求めない、自分だけで解決する」
というパターンで30歳まで生きていました。そのしんどかったこと。

実家を出て生活自立をし、仕事も順調で経済自立をし、恋愛ではなぜかDV男ばかり引き当てるので結婚や出産には明るい未来を持てず、男に頼らず女ひとりで生きていこうと考えていました。仮に結婚できたとしても何があるかわからない不安から自分の経済力は手放したくないと考えていました。

30歳で過労で倒れて、うつ状態と診断されました。

「何があってもがまんして自分ひとりで抱え込む、助けを求めない、自分だけで解決する」

この生き方の限界がきたというのに、わたしはまだ自分だけで解決しようとして、カウンセリングスクールに入り、カウンセリングを学んで自分で自分をカウンセリングしようともがいていました。

そのおかげで現在、がまんをやめることで食べていくカウンセラーになれたわけですが、あのときわたしの回復に必要だったのは、

「何かあったらがまんしないで誰かに話す、助けてと誰かに言う、解決のために誰かの力をかりる、誰かに迷惑をかける、誰かを信頼する」

こういう生き方に変えることでした。

休職して実家に戻り、生活と経済の自立を失った絶望とその先の不安、精神の自立ができていなかったという衝撃、子宮にがんがみつかるという悲劇、、、心も身体も人生もボロボロになってしまって、死を意識したあとは、もうかっこつけてる余裕もなくて、まわりに迷惑かけて、役立たずで、競争に負けて、幼稚で、暗くて、弱くて、ひどくて、情けなくて、惨めで、恥ずかしくて、いたたまれなくて、悔しくて、苦しくて、ぐちゃぐちゃでみっともなくて誰にも見せたくなかった自分を晒しながら、そんなわたしでも生きていていいんだと3年くらいかけて、生活、経済、精神のリハビリ期間を過ごしました。

そして、子宮のがんが治って妊娠可能な身体が残ったならば、ご縁があるならば、子どもを産もうと静かに決めていました。

うつとがんから回復して、生活と経済と精神の自立を果たした頃に、栄転→ご縁→妊娠(順番逆‼)→結婚→出産産休育休→妊娠出産産休育休→退職→起業→妊娠出産産休→社会復帰(いまここ)。

「何かあったらがまんしないで誰かに話す、助けてと誰かに言う、解決のために誰かの力をかりる、誰かに迷惑をかける、誰かを信頼する」

この生き方に変えてから、とんとん拍子に人生が好転していき、自分の人生を楽しめるようになりました。

がまんを押し付けてくる母のことが嫌いで恨んでいたけれど、フェミニズムを知ったらそんな母の態度や生き方をこれじゃぁ仕方ないよねぇと理解できて、母を責めてきてたことを反省しています。

がまんすることで食べている母のおかげでいまの幸せなわたしがあります。